スローループ

スローループのアニメ版を最終話まで観終わった。3人の互いを思いやる気持ちが、「百合」という言葉で安易に表すことのできない良い関係性だったように思う。

日常系では同性同士の疑似恋愛という関係を扱うことが多い。いわゆる「百合」だ。主要メンバのうち1名はボーイッシュなキャラで、それに対して恋愛感情を抱くキャラが1名いるというのが定番の設定である。

しかしこの疑似恋愛という設定が曲者で、これが入ってしまうと友情という形からずれてしまう。同性の恋愛は結局男女の恋愛の代替関係であるという認識は否定できない。

自分は正直恋愛にはそれが同性だろうと異性だろうとあまり興味がない。それはそれで物語の面白さがあると思うが、自分が求めるのはそこではない。


スローループの小春、ひより、恋の3人の関係には、そういうテンプレ的な疑似恋愛がない。あるのは繊細で丁寧なお互いを思いやる気持ちだ。

小春とひよりの関係は親同士の連れ子というかなり繊細な関係だ。ひよりと恋は幼馴染ではあるが、もともと親同士が仲が良かったこともあり、ひよりの父の死を前に繊細にならざるを得ない。その関係を丁寧に描いていく。

特に小春とひよりが距離を測りながら家族であることを受け入れるようになっていくアニメ3話までは、セリフもカットも非常に素晴らしかった。

4話以降は釣りと料理とアウトドアという趣味ものらしい展開になっていくが、ずっと不安定な家族関係を観たいわけではないので妥当だろう。その中でも11話のひよりと恋の過去の関係にフォーカスした回は素晴らしかった。


オタクは女性同士が友人として仲がいい関係でもすぐに「百合」と言うという指摘がある。この指摘自体はわからないわけでもないが、百合とは何か論争に入る気は全くない。

一方で繊細で難しい現実に対して、純粋に友達同士がお互いを思いやる気持ちを安易に「百合」という言葉で扱ってきたのではないかという感覚はある。もちろんそれは女性同士だけでなく男性同士でもありうる。

そういう温かい気持ちが、スローループには確かにあったように思う。