"変化を恐れるな"という論理的暴力

あまたの自己啓発書において"変化を恐れるな"と書かれている。しかしこれは他人を自分の意志に従って変えたいと思う側にとっての論理的な暴力として機能する。

まず"変化を恐れるな"というのは一般的に正しい。そのため議論の余地がない。議論の余地がないことというのは、使った側が圧倒的に有利になる仕組みになっている。

次に論理が自己完結している。つまり"変化を恐れるな"という論理を受け入れないのは"変化を恐れているから"ということになる。これを否定する人に対しては"だからあなたは変化を恐れている"と言えばよい。

これは自分が相手を変えたいと思う場合の論理的な武器として簡単に使用できる。自分の思うように相手が変わらない場合は"変化を恐れている"と言えばよい。

これは一般的には正しいのでパワハラにはなりえない。しかしながら絶対に反論できない論理による暴力である。

似たような例はいくらでもある。例えば"成功するために必要なのは、成功するまでやり続けること"というのもよく使われる。しかしこの言葉も論理的に絶対に間違えることはない。

絶対に論理的に反論できない言葉というのは、そもそも判断の基準に使用すべきではない。そのような言葉が出てきたら論理的暴力を疑うべきである。論理的暴力に対抗するには、非論理的な不服従しかない。