自身の心と他者の現実: BLUE REFLECTION RAY

BLUE REFLECTION RAYを全話観終わった。最初のうちは欠点が目に付く部分もあったが、最後まで観てみると「心に向き合う」というテーマに愚直に向き合った良作だったと思う。これ以降は最終話までのネタバレを含むので注意。














本作は2つのテーマに分けられるように思う。自身の心を救う話と他者の現実を救う話である。これはEDテーマにも現れており、前半EDは自身の心の話、後半EDは他者の現実の話に対応している。その分け方でこの後の話を進めていく。

自身の心を救う

物語において「強い」言葉というものがあると思う。その強さは単にキャッチーであるという意味ではなく、物語特有の文脈と切り離しても訴えかける力を持っている。

「想いはあなただけのもの」という言葉はその意味で非常に強い。ここで言う「想い」は夢とか憧れといったポジティブな想いだけではない。

悲しみ、怒り、憎しみ、そのような感情を抱く自身についての自己嫌悪も含めて「想い」なのである。後半では涼楓と亜未琉の関係を通じてそれに「かなわない恋」という想いが追加されている。

自己啓発的なコンテンツでは「ポジティブな想いは残し、ネガティブな想いは手放す」ことが推奨される。ネガティブな感情を表に出すことは、社会人として望ましい態度ではないとされる。それは仏教を始めとする各種の宗教の教えとも一致する部分がある。

その結果同じ人間のポジティブな感情とネガティブな感情が分離され、ネガティブな感情は裏でTwitterのような場で無名の人間の感情として表現され、増幅されていく。

それが本当に正しいことなのか。紫乃達はフラグメントを抜くという行為で感情そのものを消そうとする。聖イネス教は感情や共感を弱さとして捨て去ることを推奨する。紫乃は自らが憎む聖イネス教の悪と結果的に同じことを行う状況になってしまう。

陽桜莉達はそうやって抜かれたフラグメントを戻す。結果として苦しみが元に戻るだけではないか。そこで重要なのは一度外に出してから戻すことなのだと思う。一度他者に委ねてから戻すというプロセスで、感情を客観視できることに意味があるのだと思う。

想いは私だけのものだ。他者には完全には理解も共感もできないかもしれない。だけどそれでいい。むしろだからこそネガティブな想いも含めて、私だけのものと言える唯一のアイデンティティとなるのだ。

他者の現実を救う

ここまでは21話までの話だった。そして22話でこれに対して爆弾が投げられる。悪の犠牲となった紫乃は、「想いを守る」と言う美弦に言い放つのだ。「守って欲しいのは想いじゃない。現実です」

これはあまりにも真実だ。ネガティブな想いにはその原因となる現実がある。恋愛感情等であればある種自己責任的な部分もあるかもしれないが、自身の選ぶことのできない圧倒的な不幸に対して「想いを守る」という言葉は単に「現実を受け入れて耐えろ」という言葉でしかない。

そのためのキーワードが"あのときもう少し話しておけば"なのだと思う。これは22話で初めて出たようにみえるが、瑠夏の過去の話と関係があるように思う。

瑠夏の回想で何度も出てくる後ろ姿の少女は何なのだろうか。20話の瑠夏の回想で机に花が飾られる描写があるが、これはいじめによる自殺の暗示だろう。

瑠夏は同じクラスの少女が自殺したことに対し、その直前に悩む彼女を見かけたが、声をかけることができなかった。それをずっと後悔しているのだと思う。

瑠夏がその少女に声をかけていたら、美弦が陽桜莉の高校進学後ももう少し話していたら、紫乃が真実を陽桜莉に話していたら、もしかしたら現実を変えられたのかもしれない。

この作品で児童虐待が何度も扱われるのは単に視聴者に心的ショックを与えるためというわけではないと思う。それは「誰かが気が付いて声をかけていれば」防げたかもしれない不幸な現実の象徴だ。

それは別に子供や女性だけである必要はない。弱者男性という言葉が話題になったことがあったが、特に仕事がなくなるというのは誰にでも起こりうる。

京アニ放火事件のような悲惨な事件をまた起こさないために必要なのは、キモいが金にはそれほど困っていないおっさんが、同じような他者に気が付くことではないかと思っている。

最後に

本作について文章を書くのは難しかった。たぶんそれは物語の構造やカタルシスではなく、現実と真正面から向き合った物語だからだと思う。

元々のゲームのBLUE REFLECTIONが心を扱った作品とはいえ、比較的ゆるふわなゲームと比べて、ここまでハードな物語の方向に振ったことは正直驚きである。

特に22話については地上波放映アニメとしてもかなりギリギリの部分がある気がする。しかしそれだけの価値はある物語だったと思う。制作された方々に感謝したい。

そして同時期にアニメを観ていた人々にも、ここまでお疲れ様を言いたいアニメもなかったように思う。