こみっくがーるず

こみっくがーるず最終巻9巻まで読み終わった。この感想はネタバレを含むので注意。













"やりたいこと"に立ち向かった上で"できること"を探す。

よく仕事を決めるときに、"できること" "やりたいこと" "儲かること"の3つを満たすことを考えろと言う。しかし厳密にはこの3つの条件はフラットではない。"できること"と"儲かること"は必須条件だ。"やりたいこと"は必須ではない。

だから多くの人は"やりたいこと"には妥協する。これに対して"やりたいこと"の重要性を主張し、そのために努力しろと言うのが普通だ。本作でそのやりたいことを正面から貫いたのが翼さんである。

一方で本作のメインはそこではない。琉姫さんが一番わかりやすい。彼女はかわいい動物さんの漫画を描くつもり...が絵柄が向いているからということでTL漫画に。そこに思う部分がないわけでは当然ないが、それでも自分の作品を好きと言ってくれる読者のために作品を描き続ける。

いやそこまで極端なことはないとは思わなくもないが、本作のはんざわ先生含めてきらら作家は少女漫画がデビューという作家さんは多い。ぼざろのはまじあき先生もそうだ。もちろん自分の作品は大好きだとは思うけど、もともと描きたかった漫画ではないという想いもないとは言えないと思う。

7巻の美姫とくりすの話もその話だ。ネームは光るものがあるが、絵は今一歩でなかなか認められない美姫と、求められるものを器用に出すことは得意だが、オリジナルの話は作ることができずにエッセイ漫画しか描けないくりす。互いが劣等感とリスペクトを経て共作するエピソードは本作品でも屈指の展開だと思う。

そしてもちろん主人公かおす先生もそうだ。

かおす先生の初連載は彼女の好きなアニメのスピンオフ企画になるのだけれど、この発想は漫画家の漫画としてはかなり型破りで衝撃を受けた。漫画というのはオリジナルこそが正攻法であり、努力してそこを目指すべきという方向とは斜め上。しかし現実の漫画家さんでも商業デビュー作はアンソロジーという方はかなり多いように思う。

最終巻ではついにオリジナル作品での連載に挑むのだが、自身の実家の和菓子屋を舞台に父親を女子高生化する。自分のできることで実家をモデルにするのはわかる。しかし父親をモデルにするという発想はなかった。

とはいえかおす先生の理想の男性はお父さんというのは既に出てきた話で唐突感はない。好きなことだからこそ真摯に向き合えるのであり、自分が何が好きか理解するのは"できること"を発見するのに近い。


本作において"できること"を選ぶのは妥協ではない。"やりたいこと"と正面から向き合って挫折することで、やっと自分の"できること"と"できないこと"が見えてくる。"できること"は自分だけでは気が付かないこともある。

そういう意味でただ闇雲に"やりたいこと"に向かうのではなく、現実的にどう実現していくかという物語だと思う。