新写真論

写真を取り巻く環境は大きく変わった。でも評価基準はあまり変わってないのではないだろうか。

実はかなり昔に大山さんのワークショップに参加したことがある。大山さんはデイリーポータルZで知って面白い視点で写真を撮る人だと思っていて、団地写真も好きだった。正直そのイメージでいたのでこの写真論の面白さと深さはかなり意外だった。

本論は写真の構図やテーマよりも、写真というもの社会における位置づけの変化を扱っている。確かに写真の社会における位置づけはスマホ + カメラ + SNSの組み合わせによって、20年前とは大きく変わった。その変化は同じ20年である1980-2020年の変化と比べても桁違いに大きい。

初のカメラ付き携帯はシャープのJ-SH07で2001年発売である。自分は携帯電話関係の仕事をしていたのでよく覚えているが、携帯電話にカメラがつくことが標準になるとは全く思わなかった。写真というものはそれほど日常から遠いものだった。

自分は今でも写真についての考えがかなり古いと思う。あまり写真を取らないし、正直写真を撮るという行為に未だに気恥ずかしさを感じる。インスタはやらないけど、美術館で展示されるいわゆる「写真家」が撮る写真を観たりはする。

本書で一番面白かったのは「写真システム」という考え方だと思う。AIが世界を認識するためにスマホと人間を使って情報を集めているという考え方はSF的ではあるが、情報がお金に結びつく現在においてはあながち単なるSFとも言い難い。

一方で写真の評価基準そのものは、20年前から特に変化していないのではないかという気もする。「評価される写真」というのは端的にいうと「いいね」がつく写真ということだ。絶景も動物も料理も昔から人気があった。

デジタルで背景のボケをつくる技術がその典型例だ。膨大な写真から良い写真を選択する行為も、昔はフィルムを潤沢に使えるプロのカメラマンの特権だった。それが普通の人にもできるようになった。

もちろん美術館における「写真家」のレイヤーでは変化がある。しかし一般においては「古くからの美的価値観の写真」が自分でも撮れるようになったことを楽しむ以上の変化は起きていないように思う。

それは特に悪いことではない。しかしどこか寂しい感じもする。