ぼざろに対する微妙な気持ち

"ぼっち・ざ・ろっく"は面白かった。そしてこれまできららアニメをあまり観なかったような層からも評価されてヒットしたこと自体はうれしい。ただその上で微妙なひっかかりがある。その点についてお気持ちを書いてみたい。

自分がぼざろについて評価しているところは、音楽でも成長でも百合でもない。日常系ギャグアニメという部分に対してきちんとこだわりを持って描かれている部分である。

きらら民でない多くの人が持っているきららのイメージは以下のようなものでないか。

1. 4コマ
2. 登場人物のほとんどが女性
3. 成長物語の不在

今のきららには3.はあまり当てはまらないと思っている。自分も雑誌を読んでいるわけでなく、無料公開で気になったものだけ単行本を買う読み方なので全部の作品を読んでいるわけでもないが、認識はそこまで違ってないと思っている。

"けいおん!"から始まる日常系ブームにおいて、意見が分かれたのが3の部分だった。その後ブームも収束して多くの人がわかりやすい成長物語を志向するようになった。

その影響かきららは1と2の部分を維持したまま、いかに成長物語を描くことができるかという方向に進んだと思っている。

登場人物がすべて女性であっても、百合で恋愛を描くことはできる。

4コマという制限については、いわゆる起承転結で4コマを構成するのではなく、コマとしては4コマで1行であるものの、普通に物語を連続させるものも今では少なくない。

この方向での成功例が"NEW GAME!"と"まちカドまぞく"であり、"ぼっち・ざ・ろっく"がそれに続いたというのが自分の認識だ。

この3作品の大きなポイントとして、成長物語をきちんと描きながらも、日常系ギャグとしてきちんと面白いという点は無視できないと思っている。

むしろ成長物語が面白い漫画やアニメは他にたくさんあるのできららである必要はない。日常系ギャグが本質であり、成長物語は観やすくするための甘味料なのだと思っている。

これは自分の好みなのだけれど、自分は日常系の成長物語のないところに強い価値を感じている。だから最近のきららのエモい展開や、百合による恋愛、ギャグ漫画であっても単行本終盤でとって付けたように成長物語をいれるところがあまり好きではない。

"ぼっち・ざ・ろっく"がヒットしたことで、きららの方向性としては間違ってないことが証明された。一方で成長物語を持たない自分の好きな方向の漫画はアニメ化はより難しくなるだろう。そこがどうにも素直に喜べない気持ちがある部分である。