楽しく上達などない

よく「楽しんで上達しよう」と言いますよね。逆説的に「学習や練習を楽しめない人は上達しない」と言われたりもします。自分の実感としてはそれはあり得ないと思っていて、何らかのスキルを上達させるための行動は、全て苦痛であると思います。

この前提には生産的活動が楽しいという認識があります。しかし自分自身の実感としては、楽しいのはあくまで非生産的な消費活動だけです。生産的な活動というのはすべからく苦痛です。

ましてや他人に評価され、お金を頂こうとまで思うレベルに達するのは苦痛でしかありません。

もちろんその苦痛の感じ方には、同じ内容に対しても人より多く苦痛を感じるもの、少なく感じるものがあります。少なく感じるものは向いているのかもしれません。しかしながらそれは「楽しい」わけではない。

この考えには一つ楽な点があります。それは「楽しんで上達する自分の天職的なもの」を探そうと思わなくなることです。

自分は苦痛を感じてもやることは2つだけにしています。一つは「効率よくお金を稼げる事」です。もう一つは「自分にとって価値のある事」です。「他人が価値があると言っていること」はやりません。

苦痛なことをやるためのコツがあるとすれば「習慣化」なのかと思います。自分は朝起きてから仕事をするまでの時間は、苦痛でも必要なことをやる時間に決めています。仕事が終わってから寝るまでは楽しくて無駄なことしかしません。

もう一つは「見切り」なのかと思います。他人がやる価値があると言っていることでも、自分が一定時間やって目に見える効果がないようであればあっさりやめます。

世間は「上達を楽しまなくてはならない」という強迫観念に溢れています。「楽しめないこと」を悩むくらいなら、「苦痛だけどお金のためにやっています」と言ってしまう方がはるかに楽なのではないでしょうか。